2019年3月21日木曜日

江戸時代中後期の書物に見る三ツ石の記述

(承前)三ツ石騒動は沈静化するのか? 2019年3月16日
    外宮はかつて川に挟まれて建っていた 2019年3月17日

伊勢神宮・外宮にある三ツ石について書いてきました。三ツ石は古代にこの付近を流れており、現在は流れが変わってしまった宮川の派川(現在も水路として残る「豊川」)の河原の跡地を示しており、式年遷宮の際の重要神事である「川原大祓」を行う場所の目印である、というのが真相です。繰り返しになりますが、SNSで言われているようなパワースポットではありませんし、伊勢神宮当局も手をかざす行為は控えるよう訴えています。

しかし、江戸時代の伊勢神宮に関する書物などを読んでいると、しばしば三ツ石についての記述がみられます。江戸時代には全国各地から毎年数十万人から数百万人もの参宮客を迎え入れていた外宮ですが、特長ある外観の三ツ石が、参道の中にポツンとあることを不思議に思う人は少なくなかったようです。

江戸時代後期の1797年(寛政9年)に出版された、「伊勢参宮名所図会」という本があります。多くの旅人が利用した伊勢街道沿いの名所や旧跡をイラスト入りで詳しく紹介している、現代の観光ガイドブックの原点とも言える内容の本ですが、これによると

石を鼎のごとく3つ居置き、参宮の時、これを避けて踏まぬを習いとす。これは月次、神嘗祭、又は遷宮の時、御巫内人(みかんなぎうちんど 祭事に奉仕する神職のこと)が御禊を修する所なり

とあり、三ツ石は踏まないように注意すべきだという記述もあります。

また、江戸時代中期に外宮の神官であった喜早在清が著した「毎事問」という書物によると、「三石はいかなる名石ぞや」という質問に対し、

曾て(かつて)名石にあらず。これは御巫内人等、祓を修する所なるゆえに目当にて石を居置きたるなり

とあり、目印であることを断言しています。当然ながら、神様が祀ってあるなどとは書かれていませんが、由緒もろくに調べずに何でもありがたがって拝む人は江戸時代から多かったのかもしれません。

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