(承前)名古屋市博物館「画僧 月僊」に行ってきました(2019年1月5日)
伊勢(山田)古市にある浄土宗のお寺、栄松山寂照寺の住持となった月僊(げっせん)は、すでに画家としても名が広く知られていたことから、仏画や風景画、仙人図などを人々の求めに応じて描き、販売しました。
絵画のような芸術作品の値段決めは、現代でも難しいものです。きっと当時もそうだったでしょうが、月僊はあらかじめ絵の値段を相手に明示し、きっちりと代価を得ていました。こうした金銭にこだわる姿勢が批判されたりもしたようですが、ともかく月僊は蓄財を続け、1800年(寛政12年)から1803年(享和3年)にかけて荒廃していた寂照寺の山門や本堂、庫裏、経蔵を修復しました。ちなみに山門は国の登録有形文化財になっています。
寺の再興のほか道普請といった公共事業にも資金を提供し、月僊と寂照寺の名はますます高まりますが、特筆すべきなのは「月僊金」という社会福祉のための基金を造成したことではないでしょうか。月僊は文化年間(1804~1809年頃)に徳川幕府の代官所であった山田奉行に1500両を寄託。その運用利息で宇治山田近郷の貧しい人々を救済するよう要請したのです。
物価変動もあるため一概に言えないものの、一両の現在価値はおおよそ数万円と考えられます。1500両は約1億円に当たり、江戸時代の金利は13~15%だったそうですが、物価が比較的安かった当時は、運用益で生活資金の貸し付けが十分に賄えたのでしょう。
驚くべきことにこの月僊金は、明治維新を迎えた後も新政府(宇治山田市)に移管されて存続します。大正時代には、寂照寺で得度した、いわば月僊の末流につながる僧の清水法隆師が、月僊金も原資の一部にして社会福祉団体である明照浄済会を設立しています。
明照浄済会は今も事業活動を続けていますし、伊勢市には「月僊金復興社会事業基金」が今も存在しています。
月僊は、まさに仏都伊勢を代表する偉人だと言えるでしょう。
ちなみに月僊は1809年(文化6年)1月に没したので、今年は210年忌に当たります。
2019年1月6日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
「MYひしゃく」でコロナ対策!?
伊勢神宮・内宮の近くにある神宮会館で、参宮用の柄杓(ひしゃく)を販売していると聞いたので行ってみました。神宮会館は伊勢神宮崇敬会なる信徒団体が運営している宿泊施設で、私が子供のころは確か会員制で古色蒼然とした建物のホテルでしたが、20年ほど前に全面改築され、現在は誰でも泊まれ...
-
(つづき) 大中臣永頼が伊勢神宮の祭主職だったのは平安時代中期の991年~1000年ですが、その在任中の1000年(長保2年)には、伊勢神宮最大の重要神事である式年遷宮が内宮で斎行されています。この当時の式年遷宮は、内宮と外宮で別々の年に行われていました。 伊勢市教育委...
-
昨年出版された「神と仏の明治維新」古川順弘著(洋泉社歴史新書)に、三河大浜騒動のことが書かれていました。 明治維新政府による王政復古、祭政一致という施政方針により、伊勢神宮の鳥居前町であった宇治山田(現在の三重県伊勢市中心部に当たる)でも大規模な廃仏毀釈が強行されました。 大...
-
神社や神宮を災いから護持するため、あるいは神威をいっそう強めるため、神殿のすぐ近くに仏教寺院が建てられている例は全国各地に見られます。「神仏習合」と呼ばれる信仰形態の典型例であり、神話に起源を持ち、日本で最も高貴な神社である伊勢神宮にも、このようなお寺が建てられていた時代がありま...
0 件のコメント:
コメントを投稿