月僊は江戸時代の中期に活躍した僧侶です。江戸・増上寺での修業のかたわら水墨画の大家だった桜井雪館に師事し、その後は京都で円山応挙の画風にも影響を受つつ、独自の画風を確立。
釈迦涅槃図などの仏画のほか、風景画や古代中国の仙人を描いた仙人図など多数の絵を描きました。
ただ、応挙や伊藤若冲といったビッグネームほどの知名度はないと思うので、博物館もガラガラだろうなと思ったら、さにあらず。
意外にもと言うか、多くのお客さんが来ていたので流石は大都会名古屋だとちょっとびっくりしました。月僊の絵画の詳しい案内は、名古屋市博物館のホームページに紹介されています。(リンクはこちら)
では絵心のない私がなぜ月僊展に行ったかといえば、この月僊は仏都伊勢を語るうえで欠かせない歴史上の著名人だったからです。
すでに画僧として高名だった月僊は、1774年(安永3年)、34歳の時に伊勢の古市にあった寂照寺の住職となりました。
寂照寺は豊臣秀頼の正室であった千姫(徳川家康の孫)の菩提を弔うため、1677年に伊勢神宮に近いこの地に創建された、知恩院の流れをくむ浄土宗のお寺です。しかし、100年近く経つ間に寺勢は衰えてしまい、その再興のために月僊が派遣されたのです。
月僊は多くの参宮客が通る古市の地の利を生かし、人々の求めに応じて多くの絵を描きました。それを売って財を蓄え、荒廃していた伽藍の修復に当たったのです。
(つづく)
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