2018年9月9日日曜日

一日参りという新しい風習

 前回のブログでは「一日参り」(ついたちまいり、朔日参りとも)について書きました。
 るるぶなど一部の観光ガイドブックには、伊勢(ここで言う伊勢とは、伊勢神宮の鳥居前町である宇治や山田のことです)には、毎月の始めに当たる一日に神宮にお参りする「一日参り」の風習がある、などと書かれていることがあります。


 しかし、この一日参りという風習は、長い伊勢の歴史の中では比較的新しい流行です。 
 もちろん古来から特に敬神に厚い人々は実践してきたのでしょうが、伊勢の古老に聞いても、あくまでも一部の人が行っていたかもしれない程度のもので、伊勢ならではの一般的な風習とまで呼べるものではありませんでした。

 古来から全国的に多かった一日参りは、八月一日の「八朔参り」というものです。これは五穀の豊穣を感謝するために起こった風習のようです。
 伊勢神宮の外宮(げくう)では民間団体の主催により「ゆかたで千人参り」という、涼しくなった夕方に浴衣姿で参ろうという八朔参りのイベントが行われてたりします。


 夕闇が迫る中、蝉しぐれの参道をそぞろ歩く人々の姿はなかなかに幻想的です。(ただし、まだめっちゃ暑い!)


 きっと明治時代や江戸時代、それより前の人々もきっとこんな風に一日参りしていたのだろうと思いたいところです。
 しかし、昭和30年に伊勢神宮(神宮司聴)が発行した 神宮教養草書 第二集 伊勢信仰と民俗 という本によれば、伊勢では古来、参宮すべき日は毎月二十八日とされていました。
 この本の著者は井上賴壽という伊勢出身で京都で活躍した教育家だそうです。
 井上によれば、二八日参りは江戸時代中期の外宮神職・喜早清在が著した「毎事問」という書物に記載があるそうで、「廿八日(二十八日)は日月の合う初めで祝日である。廿八宿の終を慎むともいう。」と説明されています。
 ただ、うーん、私にもこの説明はよくわからないのですが・・・・・

 伊勢神宮や伊勢参りに関しては、江戸時代あたりから現代まで、実に多くの研究書、教養書、旅行案内、随筆、日記などが書かれており、その全部を読むことは不可能です。
 しかし、私が個人的に何冊か読んだ明治時代以前の庶民の参宮や風俗に関する本でも「一日参り」についての記述を見たことがありません。率直に言って、「一日参り」が伊勢で一般的であったという根拠はないのです。
 
 伊勢神宮の一日参りに関して、今、最も有名なのは、赤福が毎月一日の早朝に数量限定で販売する「朔日(ついたち)餅」でしょう。赤福が昭和初期から発売していた八朔餅を拡大リニューアルし、毎月の「ついたち餅」として発売開始したのは昭和53年。
 この年は昭和48年に斎行された第60回式年遷宮による参宮客の増加が一服した年であり、赤福をはじめとした観光業者は、何らかのテコ入れを真剣に考えていた時期だったと思います。
 この当時、赤福の社長だった濱田益嗣氏は「朔日餅は季節ごとのコミュニケーショングッズ。価格も安く、企業が顧客へのグリーティングに大量購入している。」といった興味深い発言もしています。
 彼の天才的な販売戦略の一つとして、伊勢では古来から一日参りが風習になっている、という説が広められたのではないでしょうか?

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