令和が始まりました。多くの皆さんもそうでしょうが、平和で豊かな時代であることを期待したいと思います。
伊勢神宮にも連日多くの参拝客が訪れていて、今はやりの御朱印には長蛇の列ができています。内宮、外宮で待ち時間がそれぞれ2時間近くもあり、両方の御朱印をもらうために丸一日かかってしまった、というブログも目にします。
しかし天皇の代替わりで私が思うのは、もしも21世紀に斎王制度があったら、どうなっていただろう?ということです。まったくの夢想ですが。
斎王(さいおう)とは8世紀頃に成立した古代の官制です。斎王は天皇の代替わりごとに皇女から占いによって適任者が選ばれ、都から伊勢に下向して斎宮(さいくう。伊勢神宮から10kmほど離れた場所にある。)に常駐して、天皇の代わりに(まさしく天皇の名代として)年3回の重要な祭祀に参加していました。
ある神社に対して、皇女が直々に、しかも恒常的に派遣されることは極めて異例なものであり、伊勢神宮が全国の他の神社・神宮とはまったく異なる優越的な地位にあったことの証左だったのです。
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明和町ホームページより 斎王まつりの様子 |
斎王は内親王(天皇の嫡出の皇女、天皇の嫡男系の嫡出の皇孫女子、天皇の姉妹)から選ばれるのが原則なので、現時点で該当するのは愛子様、眞子様、佳子様の3人が候補者ということになります。しかし、選出方法は亀卜(きぼく)、つまり海亀の甲羅を焼き、入ったひび割れによって神意を図るという相当に無茶なものでした。占う人によってかなりの作為が可能だったことでしょう。
斎王に選ばれると今までの宮廷生活から隔絶され、嵯峨野にあった野宮(ののみや)で1年間、潔斎精進の生活を送ります。その後、臣下たちと共に伊勢に下向し、平安京を模して整備され「竹の都」とも呼ばれた壮麗な斎宮で、500人ほどの官吏や女官らに囲まれて、伊勢神宮の主祭神、天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕える生活したのです。都に戻れるのは、天皇の退位、崩御などがあった場合に限られました。
幸か不幸か、伊勢神宮の斎王制度は14世紀、後醍醐天皇の治世以降は行われることがなくなり、自然消滅しました。今、斎王たちが生活した竹の都こと斎宮の跡は発掘調査が進み、公園に整備されて博物館も建っています。
(関連リンク)
明和町ホームページ http://www.town.meiwa.mie.jp/index.html
三重県立斎宮歴史博物館 http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/index.shtm